こんにちは、岸です。
先日、親類のお通夜があり、実家のある関(岐阜)へ戻りました。
そこで久しぶりに会った叔父の一言が今も脳裡から離れません。
叔父は、5~6年前に各務原市(岐阜)にも生産拠点のある大手重工企業(航空機関連)を
定年で退職した後、地元にある航空専門学校で教鞭をとっています。
久しぶりに会った叔父に、今も航空専門学校で教えてるんですか?と尋ねたところ、
叔父はこんな風に答えてくれました。
「専門学校行ってるよ。教えてるというんじゃなくて、学生と一緒に勉強させてもらってる。」
教えることは、学ぶ(教わる)こと。
これまで身に付けていた知識や技術も、人に教えようとすると、それを体系立てたり整理したりする必要があります。専門書などで勉強し直すこともあるでしょう。
人に教えるためには、単に知識を伝えるというのではなく、教えられる立場の人がわかりやすいように教え方を勉強する必要もあります。
また、叔父が現役を離れた後もきっと技術は進歩しており、それにキャッチアップするために、これまでにない新しい知識を獲得していかなければならない、ということもあるでしょう。
さらには、若い学生に講義をしているとき、学生とのやりとりで、教える側が考えさせられる、思いもよらぬ発言や質問を受けることがあるかもしれません。
叔父の一言から、そんな諸々を想像しました。
謙遜もあるのでしょうが、叔父の率直な思いを教えてくれたものと思います。
昔、僕が子どもの頃、スペースシャトルの壁の素材の研究をしているんだよと教えてくれたときも、大変勉強熱心な叔父でしたので。
人に何かを教えようとしたら、その何倍もの時間、自分自身も勉強しなければならない。
叔父の一言で、あらためてそんな当たり前のことの大切さを思いました。
それと、やっぱりそれでいいんだ、とも。
僕も職業柄、クライアントの企業で、研修をさせて頂くことがあります。
研修自体は半日や1日だとしても、その準備にはインプットの時間も含めると、その何倍もの時間を費やすことになります。また、研修当日、受講者の方々とのやりとりでこちらが新たに気づかされることもよくあります。
まさに、教えることは、学ぶ(教わる)こと。
けっして「上から」ではなく、受講者の方々と対等な立場で同じ時間が共有できることは、僕にとっての喜びです。